博士になりたい重度自閉症「はかせ」の日記

「はかせ」はタイ プーケット島 で2005年7月に生まれ3歳の時に自閉症と診断された。2012年11月に母のふるさと北海道に来た。話せないし、文字を書けないけど 文字盤で伝えることは出来るので日記を書こうと思った。(母記)

2024年2月11日(日曜日)2018年1月 OT での出来事

かあさんが RPMのことを かいたら

はかせの ことを うわさする こえが きこえました。

おあいしたこと ないけど はかせも じぶんの こどもと おなじ かんじ では ないかと おもう。

と いいました。

にっきでは いいたいこと いえるように なったけど

はかせは わかっていることを つたえるのが できるように なったのは

おかあさんの おかげです。

はかせも がんばりました。

かあさんが いうように りょういくセンターで はじめて いえたのです。

「ありがとう」を OTのせんせいに です。

それまでの ときは

はかせ かあさんの いう がくしゅうの こたえだけ ゆびさし できました。

(療育センターのOTで)

はかせを いいやすい ように 「O W A R I 」と、いえて

「A」と「R I 」が みえたから

「A R I 」と ゆびさし して

かあさんが 「G」の ある もじばん みせたから

「G A」と ゆびさし できて

つぎに 「K」のある もじばん みせたから

「T O U」ゆびさし できました。

いいかんじで (お母さんが)もじばん みせてくれた から いえました。

ほんとうに つたえたい ことば だったから 

はじめて いえました。

いかさま じゃありません

じぶんの きもち でした。

(りょういくセンターの せんせいの こころの なかで)ひかくされて いたので

みかえしたかった きもちも ありました。

はかせ いえて うれしかった

おなじ しょうがいの こどもたちが ひかくの たいしょうで

おかあさんに いわないけど ダメなやつ と おもわれていた 

きが していました。

いえたから びっくり して いた。

せんせいの こころの こえが ほんとうに おどろいていた。

おわり

 

(母です。写真はこの時に使っていた4枚に分かれた文字盤です。

2択の練習と合わせて文字盤の指差し練習をしていました。

学習のおわりに 必ず OWARI と 指差ししていました。

この時の OT終了の時に文字盤を気にする はかせを 見て OWARI と 指差しさせてみたのでした。すると OWARI の後で すっと 指が A を指し R I と指差ししたのでした。)